桜崎は、急いで階段を駆け昇り、改札の駅員に告げた。
「階段で、妻が捻挫してしまったんです。来て頂けますか?」
すると駅員は、
「あ・・・、そうですか!今すぐに行きます。」
と言い、駅員室に入り、担架を持って3人の駅員と一緒に出てきた。
 
桜崎と駅員の3人は、階段を降り、百合子の所へ近寄った。
百合子は、複数の足音に気がつき、階段を見上げた。
駅員の姿を見た百合子は、恐縮そうに、
「あ、す、すみません・・・・。」
と頭を下げた。
 
百合子は3人の駅員に支えられ、担架に乗せられた。
桜崎は心配そうに、百合子を見つめている。
3人の駅員は、階段を昇り、救護室に向かった。
 
 
救護室に着くと、駅員は百合子を椅子に座らせ、言った。
「どうしますか?ここで、少し休まわれても良いですけれど、駅の近くに、評判の良い整形外科があるので、そちらに行かれますか?」
百合子が答えようとする仕草をしたが、その前に、すかさず桜崎が言った、
「そうですね。すぐに病院へ連れて行こうと思いますが、タクシーは呼べますか?」
「はい、分かりました。」
駅員はそう言い、最寄のタクシー会社に電話した。
 
 
タクシーが来る間、百合子が桜崎に言った。
「私は一人でタクシーに乗って病院へ行けますから、あなた、早く会社へ行って下さい。徳川さんの出演に間に合わなくなってしまったら、とても残念ですから・・・・。」
すると、桜崎は腕時計に目をやり、言った。
「うーん、もう8時半か・・・・、ライブはもう始まっているね。徳川君は、何時頃に出演するのか分からないけど・・・・。」
百合子も、自分の腕時計を見ながら、
「とにかく、あなたがずっと楽しみにしていた事ですから、早く行って下さい。私は、本当に大丈夫ですから。」
と、念を押した。
「いや、ここは地下鉄なんだから、地上に一人で登るのは大変だぞ。僕が居なければ登れないだろう・・・。」
桜崎も、すかさず言った。
 
と、その時、一人の駅員がドアを勢い良く空けて入って来た。
「タクシーが来ました。」
駅員が言ったのと、ほぼ同時に、桜崎は椅子から立ち上がり、百合子に近寄り、百合子の肩を持とうとした。
すると、駅員が、それを見て、救護室の奥へ小走りに行ったと思ったら、すぐに帰って来て、言った。
「あ、もし良かったら、この松葉杖を使いますか?私が上まで付き添いますから・・・。あとはタクシーに乗って病院に着いたら、病院に渡して頂ければいいので。この松葉杖、元々そこの病院の物なんですよ。」
「それは有り難いなあ・・・。それでは、お借りしても良いですか?」
桜崎は小さなため息をついて、そう言い、その松葉杖を手に取り、百合子に渡した。
 
百合子は慣れない感じで、松葉杖を脇に宛がった。
歩き方も、ぎこちない。
「それじゃ百合子、気をつけて行ってね。後で治療が済んだら電話してね。」
桜崎が心配そうに、百合子の後姿を見つめながら言った。
「あ、あなた、大丈夫ですよ。本当、心配しないで下さいね。それより、会社に行って、早くライブハウスに向かって下さい。」
百合子は、後ろを振り返り、笑顔で言った。
「うん、急いで行って来るよ。百合子こそ心配しないでね。」
桜崎はそう言ったが、百合子の松葉杖をついた後姿を、その後も見送っていた。
 
百合子が階段に差し掛かり、姿が見えなくなった。
桜崎は、急いで会社方面の出口へ走った。
 
 
 
桜崎が会社に着くと、社内には社員8人が残っていた。
その中に、さっき電話して来た条之内綾子も居た。
デスクの上は、図面だらけだ。
条之内が桜崎の顔を見ると、すぐに近寄って来た。
「社長・・・、お手数をお掛けしてしまい、本当にすみませんでした。」
条之内がそう言うと、他の社員も声を揃えて謝った。
「いや、大丈夫。とにかく急がなくちゃね・・・・。」
桜崎は真っ先に「奥富ビル設計図」のデータの入っている専用パソコンに近づき、フロッピーディスクを差し込み、「7階平面図」のデータをハードディスクに保存した。
そして、すぐにプリントアウトした。
印刷されて出て来るまで、時間が凄く長く感じた。
1枚目、2枚目、3枚目・・・・、合計26枚あるのだから、かなりの時間が掛かる。
桜崎は途中まで見届けて、言った。
「それじゃ、後はもう大丈夫だね。ちょっと急いで行く所があるから失礼するよ。後は頼んだよ。」
「あー、良かったー! 本当に助かりました。どうもありがとうございました。」
条之内は安堵した。
他の社員はもう作業に入っていたが、出口に向かう松崎の姿を見ながら言った。
「社長、ありがとうございました。」
「ありがとうございました・・・・。」
 
 
 
松崎は、再び京橋駅に向かった。
妻の百合子の事が気になる。
「病院で、もう治療をして貰っているかな・・・・。」
と、ひとりごとを言いながら、携帯電話を手に取り、百合子に電話した。
 
「・・・・・・。」
 
掛からない。
百合子の携帯電話の電源は切れていた。
桜崎は早歩きをしながら、携帯電話をワイシャツの胸ポケットに入れた。
大通りの歩道は、銀座からの沢山の買物客がデパート袋を持って歩いている。
桜崎は、平日とは違う景色を感じながら、駅に向かった。
腕時計を見ると、針はもう9時を回っていた。
「もう、間に合わないか・・・・。」
桜崎は、走り出した。
 
 

やっと京橋駅に着いた。
「急いで行かなければ、間に合わないな・・・・、いや、もう徳川君の演奏は終わっているのかも知れない・・・。」
桜崎はまた、ひとりごとを言い、更に走る速度を上げた。
 
駅までの階段を5段ほど降りた時、電話が鳴った。
「もしもし・・・。」
「もしもし・・・、あなた?」
「あ、百合子か!」
桜崎は、足を止めた。
「あなた、今どこ?」
「ああ、たった今、京橋に着いたところだよ。百合子は?」
「私は、さっき治療が終わって、今タクシーで駅に向かっているところ・・・。」
「あと、何分くらいで着くかな?」
「えーと、たぶん・・・、あと5分くらいで着けると思います。」
「そうか、じゃあ、駅前の銀行の所で待っているから・・・。」
桜崎はそう言ったが、思い出したように、更に続けて言った。
「あっ、タクシーから降りないでね!」
「はい、分かりました。」
二人は、電話を切った。
 
 
間もなくして、百合子の乗ったタクシーが到着した。
ドアが開いた。
タクシーの後部座席を覗くと、松葉杖を持った百合子がこちらを見て手招きをしている。
桜崎は車内に入り、すぐに運転手に告げた。
「恵比寿まで行って下さい。」
 
 
 
 
 
 
 
 


               


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