「えっ、アメリカですか!?」
その、いきなり発した桜崎の言葉に、徳川は当惑した。
桜崎は、徳川の顔をじっと見つめている。
 
 
「アメリカって・・・、あの、アメリカの何処ですか?」
少しの間、徳川は何を言おうか迷っていたが、やっとの思いで声を発した。
その徳川の緊張感を、桜崎は感じていた・・・。
いや、感じていたと言うより、徳川が当惑するであろう事は容易に想像していた。
桜崎は、間を置いてから言った、
「ニューヨークだよ! ニューヨークに僕の古くからの親友が居るんだけど、彼がいろいろ世話をしてくれると思うから、君の才能に懸けて、大きな夢に挑戦して欲しいんだ。」
 
桜崎は、熱く語った・・・・。
 
 
徳川は、下を向き桜崎の話をじっと聞いていたが、しばらくして、ゆっくりと顔を上げ、遠くを見つめるような目をしていた。
徳川の頭の中を、ぐるぐると回るものがあった・・・・。

「ニューヨークは夢だ・・・。」

今すぐに、返事をしたかった。
しかし、その返事をするには、徳川にとって、しばらくの時間と、そして勇気が必要だった。
 

「あの・・・、一週間ほど考えてからでも良いですか・・・?」
 
徳川は、やっと言った。
 
 
 
 
その一週間は、徳川にとって、とても短く感じられた。
熱く語る、あの桜崎の顔が、頭から離れない・・・。
久米店長も、自分を応援してくれている・・・。
その期待に応えたい・・・。
徳川は、ずっと考えていた。
 
だた、どうしても、辛く圧し掛かるものがあった・・・。
「紀香さんと離れるのは、とても辛い・・・。」
徳川は、自分の部屋で、ただ一人、そうつぶやいた。
 
 
 
次の日、徳川はJAZZ BEATS(ジャズ・ビーツ)」の校長室を訪ねた。
今の徳川にとって、アメリカ行きを一人で決断する事は出来なかった。
その勇気がなかった。
 

「コンコン・・・。」
薄茶色の大きなドアをノックした。

「はい。どうぞ。」
中から聞こえて来たのは、紀香の声だった。
徳川はドアを開け、校長室の中へ入った。
「失礼します・・・。」
徳川は、緊張していた。
紀香が、びっくりしたような顔をして徳川の方を見ている。
「徳川くん、どうして来たんだろう・・・・。」
紀香は心の中でつぶやいた。
 
「徳川君じゃないか。どうしたんだ?」
勝木校長も、びっくりした顔で言った。
「あの・・・、勝木先生にちょっとご相談があって来たのですけど。今は、宜しいでしょうか・・・。」
徳川は、ちらっと紀香の方を見て、すぐに勝木の方へ向き直り、言った。
「そうだね。30分後には授業があるけど、それまでだったら大丈夫だよ。」
と言い、そして勝木は紀香の方を向き、言った。
「あ、今からちょっと30分程部屋を離れるから、その間、仕事を進めて置いてくれるかな。宜しくね。」
勝木はそう言うと、すぐに椅子から立ち上がり、ドアの方へ歩いて行った。
徳川も、それに続いたが、勝木がドアの外へ出る直前、紀香の方を見た。
緊張している徳川の顔。そして、それを心配するような顔で見つめる紀香の姿があった。
 
 

勝木と徳川は、視聴覚室に入った。
二人は、椅子に座った。
まず、勝木が切り出した。
「話って、何だい?」
「あの・・・、この間のライブの時に居た桜崎さんって覚えていますか?」
「えーと・・・、あ、あのご夫婦でいらしていた方かな?」
「はい、そうです。」
徳川は一呼吸して、続けた。
「その桜崎さんと、僕のバイト先の店長・・・、あ、あの時、ライブが終わる直前にステージまで出て行った人・・・。」
徳川がそこまで言うと、
「あっはっは・・・。あの人ね。面白い人だったね。」
勝木は仰け反るようにして笑った。
「あ、ごめん・・・。それで?」
勝木は話の腰を折ってしまった事に気がつき、話の続きを促した。
「その店長が、桜崎さんに僕の音楽の事をいろいろ話してくれたそうで、桜崎さんも親身になってくれました。」
勝木は、肯きながら聞いている。
「それで、その時に桜崎さんから、ニューヨークに行かないかと言われたんです。」
「えっ、ニューヨーク?」
勝木は一瞬びっくりした表情をしたが、すぐに聞き直した。
「ニューヨークに何処か当てがあるのかな? それは、留学で?」
「はい、そうです。でも留学と言っても、演奏家としても教育者としても定評のあるジェフ・イートン氏に師事して、ニューヨークのジャムセッションで修行をしたらどうだ・・・、と言っていました。」
「旅費や、宿泊費や、それから学費は、どうやって?」
勝木は、額に手をつきながら言った。
「学費は自分で払うのですが、後の費用は全部、桜崎さんが出してくれるという事なんです・・・。」
徳川は、そこまで話すと、一段落ついたかのように、ため息をついた。
勝木が言った。
「それは、確かな事なのか?」
そして、少し早口になり、続けた。
「その桜崎という人は、ちゃんとした人なのか? 何か騙されるというような事はないかな・・・。少し心配だが。」
そう言うと、勝木は少しの間、顔を斜めにして、5メートル程先に置いてあるグランドピアノを見据えた。
無音の視聴覚室は、ただ静かな空気だけが漂った。
 
勝木はゆっくりとした口調で話し始めた。
「まあ、人をあまり疑うのも良くないが、注意は必要だね・・・・。でも、その桜崎さんと言う人が本当に親身になって考えてくれているのであれば、それは徳川君にとって良いチャンスだと思う。今だから言うけど、僕は徳川君の才能を、君が入学して来た時から認めていたよ。そして、とても心から期待していた。僕はこの専門学校の校長としてと言うよりも、君に個人的にいつも応援しながら・・・、大事に指導して来たつもりだよ・・・。」
そこまで言い、勝木はハンカチで目頭を押さえた。
「その愛弟子が遠くへ行ってしまうのは、本心言って・・・、辛いものがある・・・。」
勝木は、急に立ち上がり、後ろを向いて話し始めた。
ハンカチは、目に当てたままだ。
「でも・・・、その大切な弟子だからこそ・・・、大きくなって欲しい。チャンスがあれば羽ばたいて行って欲しい・・・。本心は辛くて寂しい気持ちが強いが・・・・。」
勝木はそこまで言うと、穏やかな表情で徳川の顔を見つめた。

「いつか、きっと、大きくなった姿を僕に見せてくれよ。」

 

 

徳川の目には、涙が溢れた・・・・。


 
 
 
 
 


               


inserted by FC2 system