その日の夜、すぐに紀香から電話があった。
「徳川くん・・・、今日、勝木校長と何を話したの?」
紀香は、その事を、今日一日ずっと気にしていた。
 
徳川は今日、その事について、自分から紀香に電話しようと思っていたのだが、どう話を切り出そうかと迷っていたので、なかなか電話出来ないでいた。
「あ・・・、ごめん。本当は、僕から電話しようと思っていたんだけど・・・。」
それは、紀香にとって、言い訳のような口調に聞こえたが、
「ううん・・・、そんな・・・、私がちょっと気になっただけだから・・・。」
紀香は、徳川をかばった。
「いや、ほんとに、さっきから電話しようと思っていたんだけど、どう伝えたら言いか、ちょっと迷っていて・・・。」
「えっ? もしかして、そんな重大な事なの?」
紀香の心に、小さな不安が過ぎった。
 
「うん・・・、じつは・・・、とても重大な事なんだ・・・・。」
徳川は、そう切り出し、勝木校長に話した事、そして、勝木校長が自分に言ってくれた事を紀香に語った。

その間、紀香は何も言わず、じっと聞いていた。
 
 

徳川がすべてを話し終えても、紀香はしばらく黙っていた。
いや、言葉が出なかったと言った方が正しいかも知れない。


二人の間に沈黙が続いた・・・・。
 
 

「どのくらいの期間・・・、行って来るの・・・?」
紀香が、ポツリと言った。
その紀香の弱々しい言葉に、徳川は胸が苦しくなった・・・。
「1、2年ではないと思う・・・。少なくとも、3年以上は行かなければ・・・。」
「そう・・・。そうなんだ・・・。」
紀香の声は、受話器の底から、かすかに聞こえた。
 
そして紀香は、溢れ出る気持ちから、やっとの思いで声を発した。
「私・・・・、その間・・・、待っていられるかな・・・・。」

徳川は、何も言えなかった。
 

しばらく、また二人は黙っていたが、紀香が感極まり、少し強い口調で言った。
「でも、そんな長い間アメリカに行くって言う事は、私よりも音楽を取るっていう事だよね! 私を捨てるっていう事だよね!」
紀香は、捲くし立てた。
「だって、そんな長い間、私、待っていられないよ! そんなの、酷いよ・・・。いったい私は、どうやって待っていればいいの? ねぇ、徳川くん、教えてっ!」
紀香の声は、泣き声に変わっていた。
 
徳川は、その紀香の言葉に動揺した。
「僕は今、なんて言ったら良いのか分からないよ・・・。本当に分からないんだ・・・・。本心を言うと、紀香さんと離れる事が、今、一番辛い・・・・。本当なんだ・・・。」
徳川はそこまで言ったが、目頭が熱くなり、声を発したくても、声が出てこない・・・。
続く言葉を言えなかった。
 
紀香は、その徳川の言葉を聞くと、すぐに言った、
「徳川くん、今、『私と離れる事が、一番辛い』って言ったよね。それ本当?」
「うん・・・。」
徳川はそう言い、受話器を耳に当てながら、うなずく仕草をした。
「じゃあ、二番目に辛いのは、何・・?」
紀香は、徳川の気持ちを確かめるように、言った。

「二番目は・・・。」
徳川は、それは何かを言い掛けたが、すぐに言い換えた。
「いや、違うよ・・・。一番目に辛いとか、二番目に辛いとか、そんなものはないよ。一番であろうと、二番であろうと、辛いものは、みんな辛いよ・・・。みんな、同じに辛いよ・・・。」
「二番目に辛いのは、アメリカ行きを諦める事でしょう? 違うの?」
徳川が話終わると同時に、紀香が言った。

徳川は、少し黙っていたが、しばらくして、
「いや・・・、確かにそうだよ・・・」
と言った。
だが、言葉を選び、また言い直した。
「確かにそうだけど・・・、でも、紀香さんとアメリカでは、比較する事は出来ないよ・・・。
本当・・・、その、どちらかを選んで、どちらかを捨てるなんて事は・・・、僕には、出来ないよ・・・・。」

徳川は、どうする事も出来ない渦の中に居るような気がした。
いや・・・、とてつもなく大きな蟻地獄で、もがき苦しんでいる心境だっただろう。
 

「でも、あなたは、どちらかを選ばなければならないんだよ。 そうだよね。」

紀香は、小さな声で言った。
 
 

徳川は、黙っていた。
声を発せられないでいた。
 
 


しばらくして、
すすり泣く声が聞こえた・・・。
それは、受話器の両方から聞こえた。
 
 
長い間、二人は、しゃべる事が出来ないでいた・・・。

言葉にならないであろう事が分かっていた・・・。

泣いてしまって、言葉にならない。
 
 
 

ずっと時間が経ち、
徳川は、
声をしゃくりながら、
やっと言った・・・・。

 
 

「紀香さん・・・、僕は・・・・。」
 
 
 
 
 

 
 



               


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