徳川は、携帯電話を耳に当てた。

「・・・・。」
「もしもし・・・。」
「・・・・。」
「ごめんなさい・・・、電話しちゃった・・・。」

「紀香さん・・・。」
 
 
「本当はね、もう、電話しないって決めてたの・・・。でも、しちゃった。」
紀香の声は、落ち着いていた。
「今日は、送別会に行けなくて、ごめんなさい・・・。勝木校長から『来てね。』って言われてたんだけど、やっぱり行けなかった・・・。」
紀香は、続けた。
「だって、愛する徳川くんの送別会だなんて・・・、辛すぎるもの・・・。それに、会ったら、ぜったい泣いてしまうし・・・。」
「う、うん・・、もし、紀香さんが来ていたら、僕も・・、辛かったと思う・・・。」
徳川は、寝袋に顔を埋めて言った。

「徳川くん、どうしたの? 声が変だよ・・・?」
紀香が、そう言うと、
「あ、あ・・、大丈夫。ちょっと・・・、寒いだけ、だから・・・。」
徳川の声は、震えている。
「徳川くん、本当に大丈夫?」
紀香は、徳川の様子を察して、心配した。
 
「本当に・・、大丈夫だよ。でも、今日は・・、電話して、くれて・・・、嬉しかったよ・・・。」
徳川はそう言い、すぐに言葉を付け加えた。
「どうも、ありがとう・・・。」
 
「ねえ、徳川くん! どうしちゃったの? 様子が変だよ・・・。」
その徳川の力のない声に、紀香は動揺した。
徳川は、震えていた。
「ああ・・・、さっきね・・、帰りに、雨に濡れて・・しまったから・・・、ちょっと、風邪ひいてしまったのかも知れない・・・。でも、本当に・・、大丈夫だから・・、大したことないからさ・・・。」
「本当?心配だなぁ・・・・。明日、大丈夫かなぁ・・・・。」
紀香は、心配そうに言った。
 
徳川は、殆ど寝袋にもぐっている状態だったが、少しだけ顔を出し、
「今日は、何で・・、電話、して・・、くれたの・・?」
徳川のその言葉に、紀香は当惑しながら、
「あ、あの・・・、明日の便の出発時間は、何時なのかな?って思って。」
「えっ・・、見送りに来てくれるの?」
「行きたいけど、行けない・・・。だって、あなたを乗せた飛行機が飛んで行くのを見ているなんて、辛いもの・・・。でも、時間だけでも知りたいの。その時、あー行っちゃったんだなーって思うけど・・・。」
「そうか・・・、明日の便の時間は・・・、1242分だよ・・・。」
徳川は、続けた。
2時間前には・・、空港に入らなくちゃいけないから・・・、もう、あまり・・、眠れないよ・・・・。」
「あ、ごめんなさい。こんな時間に電話しちゃって・・・。」
「いいんだよ・・・。電話・・、嬉しかった、から・・・。」
「それじゃ、本当に気をつけて行って来てね!」
紀香は、そう言い、続けた。
「私、もう泣かないよ。泣かないって決めたんだ!いつまでも、くよくよしてても仕方がないしさ。あと、さよならは言わないからね。徳川くんが消えてしまうわけではないんだから・・・、いつか、きっと会えるんだから・・・。」

少しだけ間を置いて、徳川が言った、
「そうだね・・・・。いつか会えるんだからね・・・。」
 
「うん、その時は、もう恋人同士じゃない・・・、かも知れないけど・・・。」
紀香は、そこまで言うと、言葉を止め、溢れそうになる涙を、ぐっと堪えた。
 
しばらくして、続けた。
「いつか、元気で明るい顔して会うんだよ。ねっ。」
徳川は、一瞬、声を詰まらせたが、やっとの思いで言った。
「う、うん・・・、その、時は、二人は、元気に・・・、会うんだよ・・・。」
 

少しの間、二人は黙っていたが、紀香の方から先に口を開いた。

 
「じゃ、またねっ! 元気でね。」
「うん・・、紀香さんも、元気でね・・・。」
「電話・・・、徳川くんが切ってね。」
 

また、沈黙があったが、今度は徳川から言った。

「じゃあ、切るよ・・・。」
 
 
「ツー・ツー・ツー・・・・・・・・。」
 
 
 

二人の電話は、切れた。
 
 
 
 
 



徳川は、携帯電話を手に持ったまま、いつの間にか眠っていた。

 

朝起きると、その凄いだるさで、かなりの熱がある事が、すぐに分かった。
寝袋から、やっと起き、バッグの中にある体温計を捜した。
体温計を手に取り、計ってみると、熱はなんと40度を超えていた。
徳川は、一瞬、体温計が壊れているのではないかと錯覚した。
震えを押さえ、目をこすり、もう一度見た・・・。
確かに、水銀は40度の少し上の位置にあった。
 
「時間がない・・・、早く行かないと、飛行機に乗り遅れてしまう・・・。」
そう、つぶやきながら、ふらふらする体をやっとの思いで動かした。
そして、荷物を整理し、スーツケースと大きな旅行バッグを手に持ち、外へ出て行った。
 
外へ出ると、昨日の夜中に降っていた雨は既に止んでいた。
「ああ・・・、雨が止んでくれて・・・、良かった・・・。」
この荷物で傘をさす事を想像したら、それだけでも幸運だと、徳川は思った。
 

最寄駅の小竹向原駅は、混雑していた。
スーツケースが歩く人にぶつかり、よろめいた。
地下鉄に乗り、池袋駅まで行き、そして、東口ムーンライトビル・プリンセスホテルに向かった。
そこから発車する、成田空港行きリムジンバスに乗るためである。
 

高熱のため、徳川の意識は、もうろうとしていた。
池袋駅から、かなり歩いた。
首都高速をくぐると、ムーンライトビルが、そこにあった。

徳川は、思わず立ち止まり、ビルの屋上を見上げた。
 
「ああ・・・、あそこで、紀香さんと、あの綺麗な夜景を観たんだ・・・。」
徳川は、小声で、そう呟き、また歩き出した。
歩きながらも、あの時の情景が浮かんで来る・・・。
 

「あの綺麗な夜景・・・、でも、それが綺麗に観えたのは、隣に紀香さんがいたから・・・。僕ひとりでは、あの夜景は綺麗に観えなかったはず・・・・。」

そう、心の中で思った。
 
 
 
プリンセスホテルの入口に着くと、成田空港行きのリムジンバスは、もう既に到着していた。
バスに近づくと、排気ガスの臭いが鼻をついた・・・・。
 
スーツケースをバスの係員に預け、バスに乗り込んだ。
15分ほど経ち、バスは発車した。
ムーンライトビルが、遠ざかって行く・・・。

徳川にとって、大切な思い出が遠ざかって行く気がした。

 

徳川は、バスのウインドウに寄りかかり、遠くの景色を見ていたが、やがて眠ってしまった。
 
 

 

 

「お客さん!お客さん!!」

 

その声に気がつき、徳川はうつろな目で辺りを見た。
さっきまでバスに乗っていたお客は誰もいなかった。
 

「お客さん、大丈夫ですか?」
バスの運転手が、徳川の肩を叩いて、言った。

「あ・・・、はい・・・・・。」
徳川は、力なく言った。

返事をするのが、やっとだった。

「お客さん、すごい熱ですよ・・・。これは、すぐに病院へ行った方がいい・・・。」

運転手はそう言うと、バスを発車させ、近くの病院へ徳川を運んだ。
 
 
 
 
 
 


               


inserted by FC2 system