翌日の朝、病室の朝食を運ぶ音で紀香は目が覚めた。
 
「あ、やっと起きたね。」
徳川が、こちらを見て微笑んでいる。
「あれ・・・?私、いつの間にか、寝ちゃってたんだ・・・。」
紀香は、眠気まなこで、徳川の方を見ながら言った。
「はっはっは・・・。昨日と逆だね!」
「えっ?」
「だって、昨日は、紀香さんが、僕が起きるのを待っていてくれたじゃない。」
「あ・・・、そうだった・・・。しかも、私、看病に来たのに、ちゃんと仕事していないね・・・。ごめんなさい。」
「わっはっは!」
徳川は、大声を出して笑った。

「あ、徳川くん、身体の具合はどう? 昨日よりも大分良くなったのかなぁ・・・、少し元気が出てきたみたいね。」
紀香が、徳川の顔を覗き込んで言った。
「うん、今朝体温を測ったら37.5度だったよ。昨日よりかなり楽だよ。もう退院してもいいと思うんだけどね・・・。」
「だめだよ!解熱剤が効いて熱が下がってるだけなんだから、無理したら大変だよ。また救急車になっちゃうよ。」
「そうかなあ・・・、自分では、もうかなり大丈夫な気がするんだけどなあ・・・。」
徳川は、手を自分の額に当てがい、そう言った。

紀香は、その徳川の顔を見ていたが、急に思い出したように、
「あっ、そうだ!桜崎さんから連絡が入っているかも知れないから、外に出て、携帯のメッセージを確認して来るね。」
と言い、早足で病室を出て行った。
 

紀香は外に出て、携帯電話の電源を入れ、メッセージが入っているかどうか確認をした。
桜崎からのメッセージは入っていなかったが、勝木校長からメッセージが入っていた。
紀香は、すぐに勝木に電話し徳川の現状況を説明した。
勝木はかなり驚いていた様子だった。
 
12月も20日を過ぎ、ジャズ音楽専門学校「JAZZ BEATS(ジャズ・ビーツ)」も冬休みに入っていたが、秘書としての紀香の仕事は残っていた。
だが勝木は、これからアメリカへ渡って自分の可能性に懸けようとする徳川の事を考え、紀香に付き添うように告げた。
 
紀香は、また病室へ戻り、徳川の看病をした。
それから何度か携帯電話のメッセージをチェックしようと外へ出たのだが、桜崎からのメッセージは録音されていなかった。
次の日の朝、紀香は目覚めると真っ先に病院の外へ出てメッセージの確認をした。
すると、やっと桜崎のメッセージが入っていた。
 

「連絡が遅くなってごめんね。沖村君となかなか連絡が取れなくて・・・。その後、徳川君の具合はどうかな?沖村君は、仕事の都合で、ニューヨークの空港へ迎えに行けるのは、どうしても29日しか都合がつかないと言っているんだけど、29日までには退院は難しいかな・・・?あくまでも身体が優先だけど、その事を徳川君に伝えて下さい。宜しくお願いします・・・。」
紀香は、桜崎のメッセージを聴き、危機感を覚えた。
「そうか・・・、徳川くんは、身体の具合が良くなって、退院すれば、行ってしまうんだ・・・。」

紀香は無言で、病院の玄関を入り、徳川が寝ている病室へ足を運ばせた。
そして、紀香は病室に入り、徳川に桜崎のメッセージの内容を告げた。
 
29日・・・・、あと一週間だね。それまでに、熱はちゃんと下がるかなあ・・・。」
徳川は、そう言うと、紀香の顔をちらっと見て、そして続けた。
「そうだ、紀香さんは、ここに居て大丈夫なの?」
紀香は、その徳川の言葉を聞いて、ちょっとためらった。
「・・・・・」

「紀香さん・・・?」
徳川は、紀香のその表情に少々不安を覚えた。
「どうしたの・・・?」
徳川が言うと。
「あ・・・、うん・・・、徳川くん、あと一週間なんて・・・、それより早く、熱下がっちゃうよ、きっと・・・。だから、大丈夫だよ・・・。」
紀香は、慌てて言った。
 
少しの時間、二人の間には沈黙があった。
 

口火を切ったのは紀香の方だった。
「徳川くん・・・、本当は、今すぐにでもニューヨークに行きたいんじゃない? 私の事なんか、本当は眼中にないんだよね・・・?」
紀香は、少し強い口調で言った。

「・・・・」
徳川は、黙っている。
何秒かした後、徳川は寝返りをうって、窓の外をぼんやりと見ていた。
そして、静かに言った。
「紀香さん・・・、僕は紀香さんが好きだよ・・・。」
そう言うと、徳川は大きくため息をついた。
そして、続けた。
「でも、僕はニューヨークへ行って、自分を試したいという強い気持ちがあるよ・・・。勿論、紀香さんと離れるのはとても辛いんだ・・・。でも、僕がニューヨークへ行って、そして、もしチャンスに巡り合えたら、その大きなものを、いつか日本に持ち帰りたいと思っている・・・。」
徳川は、また、ため息をついて、続けた。
「その時に、紀香さんが、僕を受け入れてくれたら・・・、僕は、とても、嬉しい・・・と、思っているのだけど・・・・、でも・・・」
徳川が話を続けようとしたところで、紀香はその言葉を遮った。
「待って! 私に、それまで待っていろと言うの!? 何年先になるの? 期限があるなら私は待てるわ。何年でも・・・。でも、1年、2年・・・、もしかしたら5年、10年・・・、とにかく何年先になるか分からないのに、それをずっと待っていろと言うのは、とても辛すぎるわ・・・・。」
紀香は、目に涙をいっぱい浮かべながら、訴えるような口調で言った。
 
紀香をじっと見ていた徳川は、ゆっくりと立ち上がり、紀香の手をとり、そして強く抱きしめた。
 
二人は、しばらくの間、二人の思い出の一こま一こまを思い出していた。
遠く過ぎ去った思い出だったが、今は、二人にとって、とても鮮明に思い出された。
 








 
 
二人は、深い話をせずに、一週間を病院で過ごした。
それは、それなりに平和で、思えば楽しい日々だった。
徳川の容体は、日に日に良くなり、ほぼ平熱に下がった。
そして、29日、出発の日を迎えた。



「徳川くん、今日はいよいよ、あなたが飛び立つ日よ。夢に向かって・・・、本当に頑張ってほしい・・・・。心から応援しているわ・・・・。」
紀香は、笑顔で言った。
その紀香の笑顔を見て、少し微笑みながら、徳川は言った。
「うん、どうもありがとう・・・。頑張って行って来るよ・・・・。」
 
 
徳川と紀香は、身支度を済ませ、病院を後にした。
タクシーに乗り、成田空港第2ターミナルへ向かった。
そして、第2ターミナルからチェックイン・カウンターへ、二人はゆっくりと歩いた。
以前、二人がすれ違った場所である。
 

出発の時間まで、まだ1時間以上あった。
二人は、いつもと変わらず、和やかな会話をしていた。
徳川も紀香も、晴れた夏の空のように明るく笑いながらしゃべった。
 
 
やがて、1時間が過ぎ、チェックイン・カウンター前には、いつの間にか沢山の人が集まって来た。
人がぞろぞろと、チェックイン・カウンターを通過して行く。
 
「あ、そろそろ行かないと・・・。」
徳川が、周りを見ながら言った。
「あ、そうだね・・。早くしないと、乗り遅れちゃうね。」
紀香は、そう言いながら、顔をしわくちゃにして笑った。
 



少しの沈黙の後、徳川が言った。
「じゃ・・・、行って来るね・・・・。」
 
 


「うん・・・・。」
紀香は、そう言うのがやっとだった。
 
 
 

 
徳川は、飛行機に続く通路に消えて行った。
 
 
 


               


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