紀香を乗せたタクシーは、30分程掛かって代々木にあるJAZZ BEATSに着いた。
「あ、ここで結構です!」
紀香は、そう運転手に告げ、お金を払い、タクシーを降りた。
 
JAZZ BEATSの入口に入ろうとして、紀香は声を掛けられた。
「ああ、紀香さん!」

振り向くと、徳川のピアノの先輩の矢嶋誠一が心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
「あ、、矢嶋さんですよね・・・。以前、恵比寿のローズ・ウッドでお会いした・・。」
「そうです。矢嶋です・・・。紀香さん、ニュース観ましたか・・・?」
「はい、観ました。あの飛行機・・・、徳川くんの乗った飛行機じゃないですよね・・・?」
そう言うと、紀香は大粒の涙を流した。
 
少し沈黙があったが、矢嶋が静かな口調で言った。
「そうですよ。あの飛行機は徳川は乗っていませんよ。ま、とにかく、中に入りましょう。」
矢嶋はそう言うと、紀香の背中にそっと手を添えた。
 
JAZZ BEATSの入口を過ぎて、廊下を通り、そして、校長室のドアをノックした。
「コンコン・・・。」
 
「はい。どうぞ。」
勝木は、すでに着いていた。
紀香と矢嶋が中に入ると、勝木は誰かと電話で話していた。
 
「はい、分かりました。・・・それでは、お待ちしております。」
勝木は、そう言ってすぐに電話を切った。
 
電話を切ると同時に、座っている回転椅子の向きをこちらに向けて、
「今ね、桜崎さんと電話で話していた所なんだよ・・・。」
数秒、合間を置いて、続けた。
「桜崎さんもとても心配していて、後でこちらへ向かうとの事だよ。」
勝木はそう言うと、大きなため息をついた。
 
電話中はテレビの音を小さくしていたのか、勝木は傍らにあるテレビのヴォリュームを上げた。
紀香は、不安そうな顔をしてテレビに目をやった。
 
「ただいま、邦人の死亡者が確認されたという情報が入りました・・・。」
アナウンサーの声が、耳に飛び込んで来る。
 
「あぁ・・・、徳川くん、無事で居ますように・・・・。」
紀香は、目にいっぱいの涙を浮かべ、しゃくりながら言った。
「いや、大丈夫だよ!彼は運の強い男だからね。」
勝木は、紀香に気遣いながらも、そして、自分に言い聞かせる気持ちで言った。
成田発ニューヨーク行きの便・・・、日本人が沢山乗っているのは分かっていた。
ただ、死亡者の中に、徳川の名前が出ない事を皆が祈った・・・。
 
「邦人の名前は、まだ発表されていませんか・・・?」
「はい、名前はまだのようです!」
「でも邦人の死亡者が確認されたとの事ですので、もう間もなく名前が伝えられると思われますが・・・。」
 
校長室に集まった勝木と矢嶋、そして紀香は、固唾を呑んでテレビを凝視している。
時間はどんどん過ぎて行くが、いっこうに新しい情報が入って来ない。
現場がかなり混乱しているという事が、想像出来た。
 
その時、ドアを叩く音がした。
「コンコン・・・。」
 
「はい・・・、どうぞ・・・。」
勝木がそう言うと、ドアを開けて桜崎が慌てて入って来た。
「バタン!」
 

「状況は、どうですか!」
桜崎は息を荒くして、大きな声で言った。
「いや、邦人の死亡者が確認されたそうなんだけど、まだ名前が発表されていないんだよ・・・。」
勝木は続けた。
「ほんと・・・、徳川くん、無事であれば良いのだけど・・・。」
 
その後、校長室へ来た者は皆、テレビに神経を集中した。
アナウンサーの声を、一言も聞き逃すまいと耳を傾けていた。
紀香だけが、手を合わせ、下を向いて、しくしくとずっと泣いていた。
 
 
 
邦人死亡者確認の報から40分後、死亡者名が発表された。
それぞれの名前が、字幕として流れる。
それと同時にアナウンサーが、名前を読み上げた。
テレビ画面いっぱいに、沢山の名前が流れた。
皆、それぞれに目を一点に絞り、画面に次々に出る名前を凝視していた。
その時点で、邦人の中で死亡確認された者は、53名だった。
その中に、徳川の名は無かった・・・。
 
紀香は、ずっと下を向いて泣いていた。
とても、テレビの画面を見る勇気がなかった。
 
行方不明者、76名。
「徳川くん・・・、頼むから無事でいてくれ・・・。」
勝木は、天井を仰ぎ、細々と小さな声で言った。
 
 
校長室に集まった勝木と矢嶋と桜崎、そして紀香は、その後、夜を徹してニュースを観ていた。
邦人の死亡者の数は、その頃には、102人に達していた。
そして、本機ニューヨーク行き951便のすべての死亡者の数は、その時点で175人確認されていた。
乗員、乗客、含めて179人乗りの、このニューヨーク行き951便。
行方不明者、4人。

徳川の安否は、絶望的だった・・・。
 
 
機体の前方部分は、見つからないままだった・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
「 上巻、 完 」

               




 

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