場内からは、大きな拍手が沸いた。
さすがに、勝木知彦の演奏は、長いキャリアを積んで来ただけあって、味のある演奏だった。
 
「校長先生、素晴らしい演奏でしたよ。」
徳川が、真っ先に勝木に近寄り、言った。
「どうもありがとう。でも、徳川君も良く頑張ったね。」

「えっ、勝木先生、僕の演奏聴いていたんですか!?」
「場内が暗いから気がつかなかったかも知れないけど、ステージのすぐ近くで聴いていたよ。灯台元暗し・・・ってやつだな。わっはっは・・・。」
と、勝木は笑いながら言った。
そして、急に小声になり、
「でも、本当は調子悪かったんだよな。さっき、向こうのテーブルでの会話、聞こえてたよ。」
「えっ、聞こえてたんですか?」
徳川は驚いた。
「いや、でもね。調子悪いというのは僕でもすぐに分かったよ。特に同じピアニスト同士だしね。でも、あそこのテーブルの人、良いこと言う人だね。なんて言う人?徳川君の知り合い?」
勝木は更に小声で言った。
「はい、そうです。あの人は、僕のバイト先の居酒屋に良く来てくれる常連客の人で、僕の演奏を聴きたいと、前から言っていたんですが、今日は聴かせてあげる事が出来なくて・・・。名前は、桜崎さんって言います。」
「そうか、それは残念だったね・・・。」
と、勝木が言った時、
「校長と徳川くん、何をひそひそ話しているの?」
と言いながら、紀香がこちらのテーブルに移ってきた。
すると勝木は、
「いやあ、清水紀香さんの悪口を言っていたんだよ!わっはっは。」
勝木はまた笑い、徳川と紀香の顔を交互に見た。
 
 
矢嶋誠一トリオの演奏は、続いていた。
勝木の演奏した「イエスタディズ」に続き、矢嶋誠一トリオでは「ビー・マイ・ラブ」「グッド・ライフ」「アイ・シュッド・ケア」など、ジャズのスタンダード曲が演奏された。
何曲か演奏された後、矢嶋はマイクで、
「次にお送りします曲は、本日最後の演奏で、『マイ・ロマンス』をお送りします。皆さん、今夜は最後まで聴いて下さいまして、どうもありがとうございました。」
と言った。


「マイ・ロマンス」は、ミディアム・テンポのリズムで始まった。
とても心地よい、ビート感だった。
矢嶋のピアノのテーマに続き、それぞれの奏者がアドリブで演奏した。
徳川は、食い入るように観てる。
そして、勝木も、紀香も、桜崎も、妻の百合子も、皆、聴き入っていた。
 
最後の曲「マイ・ロマンス」の演奏が終わった。
ミュージシャン全員が、お客さんに向かって頭を下げた。
「どうもありがとうございました。」
 
と、その時、ライブハウスの入り口から一人の男が入って来た。
その男は、つかつかと早歩きで場内に入ると、場内に響き渡る大きな声で言った。
「アンコール!」
 
場内のお客は、一斉にその男の方を見た。
「アンコールだよ!徳川君の演奏を聴きに来たんだ!」
その声に徳川が反応し、その男の方を見た。
「あっ!」
徳川は、一瞬、何が起こっているのか解らなくなったが、その男の姿を確かめるように、視線を止めて、言った。
「店長・・・・。」
 
男は、真っ直ぐにリーダーの矢嶋の方へ近寄って来た。
そして、急に小声になり、
「頼む、徳川君に一曲弾かせてやってくれ。この場内に、どうしても徳川君の演奏を聴きたいと思っている人がいるんだ・・・・。」
矢嶋は、その男の顔を見て、すぐに徳川の方へ向き、少しの間考えていたが、客席の方を向いてマイクを持った。
「では、アンコールにお応えして、徳川君に一曲弾いて貰いましょう。」
桜崎は、立ち上がった。
百合子は、身を乗り出して、ステージの方を凝視している。
勝木校長は、矢嶋と徳川を見守るように見ていた。
 
徳川は立ち上がり、ゆっくりとステージに向かった。
そして、矢嶋に向かってお辞儀をし、続けて客席に向かってお辞儀をした。
場内は、シーンと静まり返っている。
お客の視線だけが、ステージにそそがれた。
徳川は矢嶋からマイクを受け取り、言った。
「どうもありがとうございます。アンコールでピアノを弾くなんて光栄な事です。」
徳川の顔は、場内の一点に向いていた。
「・・・・。」
徳川は、胸にとても熱いものを感じ、一瞬、目を瞑った。

そして、言った。
 
「僕のオリジナル曲、『Treasure Of Mind(トレジャー・オブ・マインド)心の宝物』を聴いて下さい。」
 
 
 
 
 



               


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